アニメ『天元突破グレンラガン』について、個人があれこれつづるブログです。オフィシャルとは関係ありません。
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シモンがロシウをどう思っていたかは、小説3・4巻で補完されていますが、よくよく思い出してみると、TV版でも実はシモンは一貫して「ロシウを信用していた」んですね。
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TV版最終回でギミーに渡されたコアドリルが、小説4巻ではロシウに渡されました。
自分はここにすごく納得したのですが、それは、これできれいに「カミナ→シモン→ロシウ→ギミー」の形が整ったなぁと思ったからです。
自分はここにすごく納得したのですが、それは、これできれいに「カミナ→シモン→ロシウ→ギミー」の形が整ったなぁと思ったからです。
*世代交代について、語り続けます。
「4部はギミーの物語」と解釈することには、異論があると思います。
サブタイトルはシモンだし、目立っているのはキタンだしね。
実はこのへんはまだ自分の中でもモヤモヤして、まとまっていない部分です。
ただ、どうしてこんなことを考えるようになったかというと、結局、24話の大量死の意味が自分の中で納得できなかったから、なんですよね。
「4部はギミー」と解釈することで、ようやく、大グレン団の男たちの死も物語的に必要だったのかなーと(少しだけ)納得できるようになりました。
カミナの死と同様、お涙頂戴のためではなく物語を進めるために、「世代交代」というテーマを貫くために、必要だったのかなーと。
「4部はギミーの物語」と解釈することには、異論があると思います。
サブタイトルはシモンだし、目立っているのはキタンだしね。
実はこのへんはまだ自分の中でもモヤモヤして、まとまっていない部分です。
ただ、どうしてこんなことを考えるようになったかというと、結局、24話の大量死の意味が自分の中で納得できなかったから、なんですよね。
「4部はギミー」と解釈することで、ようやく、大グレン団の男たちの死も物語的に必要だったのかなーと(少しだけ)納得できるようになりました。
カミナの死と同様、お涙頂戴のためではなく物語を進めるために、「世代交代」というテーマを貫くために、必要だったのかなーと。
年齢の話に関連して……
1部のカミナが17歳、3部のロシウが17歳だとすると、おもしろいなぁと思います。
1・2部は、17歳の背中を追いかけて走り出す主人公。
3部は、17歳に突き上げを食らい追い落とされる主人公。
ちなみに、肝心の主人公の17歳は、すっぽり抜けているんですね。
17歳といえば青春まっただ中、高校球児、盗んだガンメンで走り出すのは17歳の地図……じゃなくて15の夜だった(^ ^;)
1部のカミナが17歳、3部のロシウが17歳だとすると、おもしろいなぁと思います。
1・2部は、17歳の背中を追いかけて走り出す主人公。
3部は、17歳に突き上げを食らい追い落とされる主人公。
ちなみに、肝心の主人公の17歳は、すっぽり抜けているんですね。
17歳といえば青春まっただ中、高校球児、盗んだガンメンで走り出すのは17歳の地図……じゃなくて15の夜だった(^ ^;)
本放送を見ているときはよくわからなかったのですが、「シモンはロシウより年上」なんですね。
カレンダーの判然としない世界で平均寿命も50歳ぐらいで現在の我々とは感覚が違うので、正確な年齢は設定していないそうですが、前半ではシモンは14歳、ロシウは4歳年下の10歳なんだとか。
つまり後半では21歳と17歳。オトナと反抗期。
カレンダーの判然としない世界で平均寿命も50歳ぐらいで現在の我々とは感覚が違うので、正確な年齢は設定していないそうですが、前半ではシモンは14歳、ロシウは4歳年下の10歳なんだとか。
つまり後半では21歳と17歳。オトナと反抗期。
そもそも3部って、「抑圧者である新政府 VS 自由を求める大グレン団」の対立のようにも見えてしまいますが、本当は、
「大グレン団=新政府幹部」
なんですよね。
シモンやキタンは新政府をつくった人であり、ロシウたちの上司なんです。
ロシウたち若いコドモ世代が、シモンたち古い世代のオトナを疎ましく思っている。
大グレン団の方が権力者で、新政府の若者達を押さえつけていた、という構造になっている。
ここがすごいなぁって思ってました。
主人公が抑圧者に反抗する話なんて、もう掃いて捨てるほどあるじゃないですか。
主人公が抑圧者側になってるっていうのが、すごいなぁと。
ロシウが早々にシモンを引きずり下ろしちゃうので、かなりわかりにくいですけど(笑)。
「大グレン団=新政府幹部」
なんですよね。
シモンやキタンは新政府をつくった人であり、ロシウたちの上司なんです。
ロシウたち若いコドモ世代が、シモンたち古い世代のオトナを疎ましく思っている。
大グレン団の方が権力者で、新政府の若者達を押さえつけていた、という構造になっている。
ここがすごいなぁって思ってました。
主人公が抑圧者に反抗する話なんて、もう掃いて捨てるほどあるじゃないですか。
主人公が抑圧者側になってるっていうのが、すごいなぁと。
ロシウが早々にシモンを引きずり下ろしちゃうので、かなりわかりにくいですけど(笑)。
これまで3部のリアリティについて語ってきましたが、やはり3部の最大の役割は、「どんでん返し」だと思います。
物語の中で年月が経過すること自体は、別にめずらしくもない。
敵を倒したと思ったら次にもっと強大な敵が出てくるのは、すでにお約束です。
でも、ほとんどの場合は、スケールアップしただけで、それまでの話の延長に過ぎないことが多い。
グレンラガン3部で「すごい!」と思ったのは、
・「実は前半の戦いが、後半の危機の原因だった」
・「主人公が抑圧する側になっちゃってた」
の2点でした。
物語の中で年月が経過すること自体は、別にめずらしくもない。
敵を倒したと思ったら次にもっと強大な敵が出てくるのは、すでにお約束です。
でも、ほとんどの場合は、スケールアップしただけで、それまでの話の延長に過ぎないことが多い。
グレンラガン3部で「すごい!」と思ったのは、
・「実は前半の戦いが、後半の危機の原因だった」
・「主人公が抑圧する側になっちゃってた」
の2点でした。
突然ですが、小学館発行の公式ムックはすばらしいです。
ページ数といい情報量といい、本編と同じく「これでもか、これでもか」を感じます(要するに、自分のグレンラガン関連物の評価は、「ここまでやるかぁ!?」と思えるか否かで決まるんですね(^ ^;))。
で、3部の話の続き。
自分は見事に中島かずきさんの策略にはまり3部に感情移入しまくってしまったわけですが、公式ムック下巻のスタッフ・インタビューを読んでいて、気づいたことがあります。
「好きなキャラはカミナやシモン、でも自分はロシウにしかなれない」
……と感じている人、けっこういるんじゃないかな? ということ。
ページ数といい情報量といい、本編と同じく「これでもか、これでもか」を感じます(要するに、自分のグレンラガン関連物の評価は、「ここまでやるかぁ!?」と思えるか否かで決まるんですね(^ ^;))。
で、3部の話の続き。
自分は見事に中島かずきさんの策略にはまり3部に感情移入しまくってしまったわけですが、公式ムック下巻のスタッフ・インタビューを読んでいて、気づいたことがあります。
「好きなキャラはカミナやシモン、でも自分はロシウにしかなれない」
……と感じている人、けっこういるんじゃないかな? ということ。
物語に感情移入するには、ある程度のリアリティが必要。
でもリアリティって、やたらと暗かったり人が死んだりすることではないと思うんです。
空から落ちて地面に激突しても人が死ななければギャグだけど、だからといって、むやみに人が死ぬシーンを描いて「これが現実だ」とか言われても、シラけるだけです。
アニメでどんなに残酷なシーンを描いても、しょせん現実の残酷さにはかなわないんだし。
グレンラガンのリアリティって、そういうのとは、ひと味違う。
作り手さんたちが実際に肌で体験した、本当に本物の、リアル、という感じがします。
でもリアリティって、やたらと暗かったり人が死んだりすることではないと思うんです。
空から落ちて地面に激突しても人が死ななければギャグだけど、だからといって、むやみに人が死ぬシーンを描いて「これが現実だ」とか言われても、シラけるだけです。
アニメでどんなに残酷なシーンを描いても、しょせん現実の残酷さにはかなわないんだし。
グレンラガンのリアリティって、そういうのとは、ひと味違う。
作り手さんたちが実際に肌で体験した、本当に本物の、リアル、という感じがします。