アニメ『天元突破グレンラガン』について、個人があれこれつづるブログです。オフィシャルとは関係ありません。
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今、グレンラガンに強い影響を与えたと思われる「新世紀エヴァンゲリオン」を、旧TVシリーズから少しずつ見ているのですが、その過程で80年代〜90年代の(エヴァンゲリオンが誕生するまでの)アニメ・漫画のことも、つらつらと考えています。
で、80年代〜90年代のアニメ・漫画といえば、やはり思い出すのは「ゆうきまさみ」。
*以下の記事は、螺巌篇公開前に一度アップしたのですが、なんだか思ったことがうまく書けないなぁと思って削除したものです。書き直して再掲します。
で、80年代〜90年代のアニメ・漫画といえば、やはり思い出すのは「ゆうきまさみ」。
*以下の記事は、螺巌篇公開前に一度アップしたのですが、なんだか思ったことがうまく書けないなぁと思って削除したものです。書き直して再掲します。
公式情報で、4月20日発売の『ビックコミック スピリッツ』に「劇場版 天元突破グレンラガン×鉄腕バーディー」のコラボ記事が載っていると知り、コンビニへ買いに走りましたが、その後WEBでも公開されたようです。
以前にも書いたのですが、グレンラガンを見ていると、なぜかやたらとゆうきまさみを思い出すのです。どこかでゆうきまさみがグレンラガンについて書いていないか、探していました。やっと念願がかないました。
内容は、バーディーのキャラがグレンラガンを紹介する1ページの漫画と、1ページの情報記事でした。
漫画を読んで思ったこと。
自分は3部で、ロシウたち新政府の若者側に感情移入してしまったけれど、ゆうきまさみは若者たちにないがしろにされていくオジサンたちの側に感情移入していたみたいです。
そうか、以前自分は、17話の「あなたの仕事をしてください」のあたりのセリフは「中島かずきさんが実際に、会社で思ったことにちがいない」と書いたけれど、逆に「実際に、会社で若い連中に言われたこと」だったのかも知れないな、と思いました。
*****
それから「最初、人間が地下に住んでるじゃん。あれは、現代の閉塞感そのものなんだよな。だからそれを打ち破る物語が面白くないわけがないんだ。」のところ。
80〜90年代、ゆうきまさみや押井守や神林長平や島本和彦やあさりよしとおが好きでした。好きなんだけど、何かパズルのピースがあと1枚足りないような、もどかしい思いが、いつもありました。
べつに個々の作品自体が悪いわけではありません。
その時代そのものの限界、みたいなもの。
長い間エヴァンゲリオンが見られなかったのも、たぶん、そのもどかしい思いを追体験することを恐れていたのだと思います。
その他の小説でも映画でも、いつもずっとその「足りない何か」を探していた気がします。
それが「見つかった!」ような気がしたのが、自分の場合はグレンラガンだったわけですが、今までその「何か」を言語化することが出来なかった。
ああそうか、「閉塞感を打ち破る物語」が、自分は欲しかったのか。
蝉の鳴き声に満たされた空虚な夏休み(なぜか上にあげた作家たちの作品群によく出てくる。元ネタはウルトラマン?)よりも、「うるせえええ!」って蝉を捕まえてバリバリかじってしまうような話が、見たかったのか……
*****
ゆうきまさみに話を戻します。
グレンラガンを見ながらやたらと思い出していたゆうきまさみの短編があるのですが、とうとう『ゆうきまさみ初期作品集2』を買って来て、確認しました。
「恐怖の疾走」という作品でした。
題名は怖そうですが、内容とはあまり関係ありません。
わずか4ページの短編なので、あらすじを書くとネタバレになってしまうので書けませんが、登場人物であるカントク(富野由悠季監督がモデル)の雄叫びがすごく印象的でした。
グレンラガンのスタッフインタビューを読んだとき、ああ、あの「カントク」の叫びと(ちょっと違うけど)似たものがあるなーと思っていたんです。
心の底から自分たちは物語を必要としている。
贅沢かも知れないけれど。
物語に救われることだってある。
中島かずきさんがアエラのエッセイで『物語に救われるということ』という一文を書いていらっしゃいますが、ほんとにそうだなぁと受け手側の自分も共感しています。
この半年間「たかがお子様向けのロボットアニメ」に自分はどれほど救われていたことか(笑)。
「人はパンのみにて生くるにあらず」は聖書ですが。
ローマの統治者は民衆に不満を持たせないためにはパンと、サーカスも必要だと知っていた。
「パンがなければお菓子を食べればいい」は世間知らずな発言として知られているけれど、もしかしたら「井の中の蛙、大海を知らず、されど天の深さを知る」という開き直りだったのかも知れません。
以前にも書いたのですが、グレンラガンを見ていると、なぜかやたらとゆうきまさみを思い出すのです。どこかでゆうきまさみがグレンラガンについて書いていないか、探していました。やっと念願がかないました。
内容は、バーディーのキャラがグレンラガンを紹介する1ページの漫画と、1ページの情報記事でした。
漫画を読んで思ったこと。
自分は3部で、ロシウたち新政府の若者側に感情移入してしまったけれど、ゆうきまさみは若者たちにないがしろにされていくオジサンたちの側に感情移入していたみたいです。
そうか、以前自分は、17話の「あなたの仕事をしてください」のあたりのセリフは「中島かずきさんが実際に、会社で思ったことにちがいない」と書いたけれど、逆に「実際に、会社で若い連中に言われたこと」だったのかも知れないな、と思いました。
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それから「最初、人間が地下に住んでるじゃん。あれは、現代の閉塞感そのものなんだよな。だからそれを打ち破る物語が面白くないわけがないんだ。」のところ。
80〜90年代、ゆうきまさみや押井守や神林長平や島本和彦やあさりよしとおが好きでした。好きなんだけど、何かパズルのピースがあと1枚足りないような、もどかしい思いが、いつもありました。
べつに個々の作品自体が悪いわけではありません。
その時代そのものの限界、みたいなもの。
長い間エヴァンゲリオンが見られなかったのも、たぶん、そのもどかしい思いを追体験することを恐れていたのだと思います。
その他の小説でも映画でも、いつもずっとその「足りない何か」を探していた気がします。
それが「見つかった!」ような気がしたのが、自分の場合はグレンラガンだったわけですが、今までその「何か」を言語化することが出来なかった。
ああそうか、「閉塞感を打ち破る物語」が、自分は欲しかったのか。
蝉の鳴き声に満たされた空虚な夏休み(なぜか上にあげた作家たちの作品群によく出てくる。元ネタはウルトラマン?)よりも、「うるせえええ!」って蝉を捕まえてバリバリかじってしまうような話が、見たかったのか……
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ゆうきまさみに話を戻します。
グレンラガンを見ながらやたらと思い出していたゆうきまさみの短編があるのですが、とうとう『ゆうきまさみ初期作品集2』を買って来て、確認しました。
「恐怖の疾走」という作品でした。
題名は怖そうですが、内容とはあまり関係ありません。
わずか4ページの短編なので、あらすじを書くとネタバレになってしまうので書けませんが、登場人物であるカントク(富野由悠季監督がモデル)の雄叫びがすごく印象的でした。
グレンラガンのスタッフインタビューを読んだとき、ああ、あの「カントク」の叫びと(ちょっと違うけど)似たものがあるなーと思っていたんです。
心の底から自分たちは物語を必要としている。
贅沢かも知れないけれど。
物語に救われることだってある。
中島かずきさんがアエラのエッセイで『物語に救われるということ』という一文を書いていらっしゃいますが、ほんとにそうだなぁと受け手側の自分も共感しています。
この半年間「たかがお子様向けのロボットアニメ」に自分はどれほど救われていたことか(笑)。
「人はパンのみにて生くるにあらず」は聖書ですが。
ローマの統治者は民衆に不満を持たせないためにはパンと、サーカスも必要だと知っていた。
「パンがなければお菓子を食べればいい」は世間知らずな発言として知られているけれど、もしかしたら「井の中の蛙、大海を知らず、されど天の深さを知る」という開き直りだったのかも知れません。
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