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アニメ『天元突破グレンラガン』について、個人があれこれつづるブログです。オフィシャルとは関係ありません。
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TV版でいうと19〜20話のあたりから、小説版のフォローが激しくなってきます。
TV版だと、見ているときは「次はどうなる? どうなる?」って感じでおもしろく見られるんですが、後でよく考えると、不自然で、スッキリしないところが多い。

19話感想でも書きましたが、このあたりは主人公のシモンと中心人物のロシウの心理がさっぱりわかりません。


1・2部では、何があってもあきらめずに穴を掘り続けていたシモンは、生きることもニアを救うことも、あっさりとあきらめてしまう。
その理由が、螺旋弾の開発だけ、というのが理由として弱すぎる気がします。
それまでは抵抗していたのに、19話でギミーが活躍したとたん、突然あきらめモードになってしまうのが、すごく不自然に見えるんです。

1・2部では、どんなに理不尽な八つ当たりをされてもシモンを信じ続けていたロシウは、いきなりシモンを死刑にしようとする。
その理由が、市民を納得させるためだけ、というのが、やっぱり理由として弱すぎると思います。
市民を納得させるためなら、身内ばかりの裁判より公開処刑にでもした方がいいし、判決後にグレンラガンを出撃させるのは変でしょう?

では本当にロシウは変節してシモンを憎むようになってしまったんだ……と解釈したいところですが、それだと今度は23話で判明する「実は泣いていました」がすごく不自然で、とってつけた感じがする。

それに、あきらめモードになっていたシモンが、ヨーコが助けに来てくれたとたんに、またもや突然強気モードに戻るところも、やっぱり納得できないんだよなぁ。

……やはりシモンには、自分の力で立ち直ってほしかった。
最後はヨーコに助けてもらうにしても、ニアに真相を告げられた時点でこのままじゃだめだと気づいて、ヴィラルを誘って、ムリヤリ穴を掘り出すとかしてほしかった!
そもそも、脱獄といえば穴掘り、じゃないですか?
せっかく穴掘りシモンなのに、監獄に入れられても脱獄を一度も試みないなんて、設定があまりにももったいないじゃないですか〜。

さらに「すべてはロシウが悪かった」で片付けてしまうと、じゃあダヤッカは? リーロンたちは? ずるくないか? 「ふざけるな」とロシウをののしっておきながら、その後ロシウの用意していたアークグレンやロージェノム・ヘッドを、何のためらいもなく平然と使い続けるヨーコもシモンも、ちょっと自分勝手すぎないか? という疑問が生まれてしまう。

このへんのモヤモヤが、22話(3部最終回)のカタルシスを妨げてしまって、実は22話ではあんまりスッキリできませんでした。

23話で一応シモンとロシウとの和解が描かれますが、それも見ようによっては「道を誤ったロシウを、ぶん殴って改心させた」ように見えなくもない。

ロシウのしたことは、褒められたことではないけれど、非難されるようなことでもない。

要するに、「全員死ぬか、一部の人を犠牲にして残りを助けるか」という二者択一問題の前で、まじめに回答を出そうとうんうん苦しんでしまったのが優等生のロシウ。
一方、「こんな問題、選べるかーッ!」と机を引っくり返して試験官をぶん殴って教室を飛び出して行くのがシモン。

この「突破感」こそが天元突破グレンラガンの最大の魅力なのですが、だからといって突破できないロシウを「悪」とは言いきれません。

単純にロシウを「悪」として3部を解釈してしまうと、わかりやすくはなるのかもしれないけれど、もったいないなぁと思う。
せっかくこれだけ見事に、起承転結の「転」で物語を引っくり返してみせたのに、どうにもならない現実のシビアさを突きつけて大人も絶句させたのに、え〜また元に戻って終わりかよ? って感じで。
1部からロシウを登場させていた伏線も無駄になっちゃうし、最終回でロシウに地球を任せて去って行くシモンの選択も無責任に見えちゃうし、1〜4部がうまくつながらなくなってしまう。

そのへんのフォローが見事になされたのが、小説版だと思っています。
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