アニメ『天元突破グレンラガン』について、個人があれこれつづるブログです。オフィシャルとは関係ありません。
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*27話感想の一部として書いたらどんどん長くなったので、独立させました。
小説4巻ではコアドリルはロシウに渡されました。
TV版では画面でコアドリルを手に乗せているのはギミーで、音声は「任せてください」というロシウのセリフがかぶります。
ここはいったんロシウに渡しておいて、後でロシウ→ギミーに渡してほしかったなぁ、と思っていたので、小説4巻の改変で一番深く納得したところでした。
なぜ自分がこんなにコアドリルの行方にこだわっているかというと、理由は2つあります。
1つは、すでに別記事で書いたように、物語の構造としては、その方がきれいな流れになるからですが、もう1つは、その方がその後のシモンの生き方を納得できるからなんです。
小説4巻ではコアドリルはロシウに渡されました。
TV版では画面でコアドリルを手に乗せているのはギミーで、音声は「任せてください」というロシウのセリフがかぶります。
ここはいったんロシウに渡しておいて、後でロシウ→ギミーに渡してほしかったなぁ、と思っていたので、小説4巻の改変で一番深く納得したところでした。
なぜ自分がこんなにコアドリルの行方にこだわっているかというと、理由は2つあります。
1つは、すでに別記事で書いたように、物語の構造としては、その方がきれいな流れになるからですが、もう1つは、その方がその後のシモンの生き方を納得できるからなんです。
グレンラガン最終回の感想で、「ニアの消滅が納得できない」と並んで「シモンが無責任」という批判をいくつも見かけました。
アンチスパイラルに「ならばこの宇宙、必ず守れよ。」と言われて「当然だ。」と答えておきながら、螺旋の力を使わない=何もしない道を選択し、政治はロシウに、グレンラガンはギミーに丸投げして、去って行くのは無責任だと。
すでに3部でヴィラルに、何もしないことを選択するのは螺旋王と同じだと指摘されているのに。
小説では、その後のシモンが井戸掘り職人として子どもたちに希望を与えていたというエピソードが加えられています。
TV版のシモンは「俺を誰だと……」と言いかけて「誰でもないか」と苦笑しますが、それでも何もせずただ放浪していたわけではなく、穴掘りは続けていたんだろうなーと想像することは可能です。杖みたいなドリル持ってるし。
でもTV版Cパートでは、一方のロシウが、20年かかって螺旋族平和会議を開いてスパイラルネメシスを起こさないようにがんばっているエピソードが語られるので、何となく、初見時には、シモンがロシウに負けちゃったような気がしたんです。
シモンとロシウを対立する理想と現実と考えると、一度は現実に屈した理想が、現実をぶん殴って勝ったのに、最後はまた現実に屈してしまった……と、そんなふうに感じていました。
森小太郎さんの漫画版で「ロシウ+ギミダリはシモンの弟分」というのを読んで、シモンとロシウは敵対しているわけじゃないのか、とわかった時点で、その見方が変わりました。
コアドリルは、カミナがシモンに与えたものではありませんが(でも1話で「こいつはお前に似合ってるぜ」と言って首にかけてやっている)、キタンの解説によれば「シモンと大グレン団の魂」の象徴です。単なるラガンの起動キーではない。ロシウもそれを知っていて、ラガンを動かす気もないのに首にずっとかけていたり「僕も一度はこれに未来を託したんだ。」のセリフがある。
それを渡す、ということは、カミナから受け継いだ「シモンと大グレン団の魂」を託すということ。
もちろんギミーに渡してもいいのですが、ロシウに渡したことで、20年がかりの螺旋族平和会議も、ロシウが一人でがんばっていたわけではなく、「シモンと大グレン団の魂」を継いでがんばった結果なんだなぁと思えたわけです。
平和会議の目的はスパイラルネメシスを起こさないことですから、シモンはちゃんと、アンスパさんとの約束も守ったわけですね。
アンチスパイラルに「ならばこの宇宙、必ず守れよ。」と言われて「当然だ。」と答えておきながら、螺旋の力を使わない=何もしない道を選択し、政治はロシウに、グレンラガンはギミーに丸投げして、去って行くのは無責任だと。
すでに3部でヴィラルに、何もしないことを選択するのは螺旋王と同じだと指摘されているのに。
小説では、その後のシモンが井戸掘り職人として子どもたちに希望を与えていたというエピソードが加えられています。
TV版のシモンは「俺を誰だと……」と言いかけて「誰でもないか」と苦笑しますが、それでも何もせずただ放浪していたわけではなく、穴掘りは続けていたんだろうなーと想像することは可能です。杖みたいなドリル持ってるし。
でもTV版Cパートでは、一方のロシウが、20年かかって螺旋族平和会議を開いてスパイラルネメシスを起こさないようにがんばっているエピソードが語られるので、何となく、初見時には、シモンがロシウに負けちゃったような気がしたんです。
シモンとロシウを対立する理想と現実と考えると、一度は現実に屈した理想が、現実をぶん殴って勝ったのに、最後はまた現実に屈してしまった……と、そんなふうに感じていました。
森小太郎さんの漫画版で「ロシウ+ギミダリはシモンの弟分」というのを読んで、シモンとロシウは敵対しているわけじゃないのか、とわかった時点で、その見方が変わりました。
コアドリルは、カミナがシモンに与えたものではありませんが(でも1話で「こいつはお前に似合ってるぜ」と言って首にかけてやっている)、キタンの解説によれば「シモンと大グレン団の魂」の象徴です。単なるラガンの起動キーではない。ロシウもそれを知っていて、ラガンを動かす気もないのに首にずっとかけていたり「僕も一度はこれに未来を託したんだ。」のセリフがある。
それを渡す、ということは、カミナから受け継いだ「シモンと大グレン団の魂」を託すということ。
もちろんギミーに渡してもいいのですが、ロシウに渡したことで、20年がかりの螺旋族平和会議も、ロシウが一人でがんばっていたわけではなく、「シモンと大グレン団の魂」を継いでがんばった結果なんだなぁと思えたわけです。
平和会議の目的はスパイラルネメシスを起こさないことですから、シモンはちゃんと、アンスパさんとの約束も守ったわけですね。
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