アニメ『天元突破グレンラガン』について、個人があれこれつづるブログです。オフィシャルとは関係ありません。
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(その1からのつづき)
完全に「うわーこのアニメすげー!」とはまってしまったポイントは、自分の場合は「4部構成」でした。
4部構成って、まさしく王道の「起承転結」じゃないですか。
ちゃんとサブタイトルで区分けされている。
2部からオープニングの絵が変わり、3部からオープニングテーマの歌詞が2番に変わる。オープニングにもきちんと意味がある。楽曲を売るために内容とは無関係に次々テーマソングを変えて行く長寿アニメとの、何たる違い。
そして前半と後半でがらりと世界が変わる。正直、3部の展開は暗くて、好きか嫌いかと問われたらあんまり好きではないけれど、でも、3部があるからこの作品にたまらなくひかれました。
その意味では自分は3部好きといえるのかな?
「な〜んだ結局、すべて気合いで解決かよ〜」と笑っていたら正面から冷や水をぶっかけられるような17話は、1話の次に完成度が高いと思っています。
まさに「第二の第1話」。
そしてまったく別の作品になってしまったように見えて、ちゃんと前半と3部がつながっている。それが回を追うごとにだんだん明らかになっていく、この仕掛けがいいですよね〜。
5話と3部全体が、7話のカミナの台詞と21話のヨーコの姿がつながり、1話の地上の光景が21話で繰り返され、15話の「あきらめるな」が21話のラストで、8話の「歯ぁ食いしばれ」が23話で、それまでの鬱屈を吹き飛ばす一言になって再登場する。
音楽もすばらしい。同じ曲が少しずつアレンジを変えて繰り返し出て来る。
カミナのテーマだったラップがアレンジされて、キタンがロシウに殴りかかってもかわされてしまうシーンに使われるところは、本当に切なかった(『ラップは漢の魂……だった…よな…』)。
さらに同じラップが、それを押さえつけるアリア(!)との組み合わせという形で、25話や26話、最終回冒頭に使われていく(『"Libera me" from hell』)。
地上に飛び出す時の明るく威勢の良い曲(『お前のXXXで天を衝け!!』)が、シモンのテーマの最後にひっそりと出てきたり、ピアノ・ヴァージョンになって最終章に淡々と流れていたりします。
この「少しずつ変えて繰り返す」というたったこれだけのことが、どうしてこんな感動を呼ぶのでしょう。
まさしくこの物語はラヴェルのボレロだと思う。同じ旋律を楽器を変えアレンジを変えて繰り返していくだけなのに、クラシックに疎い人や子どもまで強引に感動させて叩き切るように終わるボレロと、とてもよく似ている。
その「繰り返しながら少しずつ進んでいく」構造こそがドリル=螺旋、というところがまた、あまりにもよく出来すぎている。
完全に「うわーこのアニメすげー!」とはまってしまったポイントは、自分の場合は「4部構成」でした。
4部構成って、まさしく王道の「起承転結」じゃないですか。
ちゃんとサブタイトルで区分けされている。
2部からオープニングの絵が変わり、3部からオープニングテーマの歌詞が2番に変わる。オープニングにもきちんと意味がある。楽曲を売るために内容とは無関係に次々テーマソングを変えて行く長寿アニメとの、何たる違い。
そして前半と後半でがらりと世界が変わる。正直、3部の展開は暗くて、好きか嫌いかと問われたらあんまり好きではないけれど、でも、3部があるからこの作品にたまらなくひかれました。
その意味では自分は3部好きといえるのかな?
「な〜んだ結局、すべて気合いで解決かよ〜」と笑っていたら正面から冷や水をぶっかけられるような17話は、1話の次に完成度が高いと思っています。
まさに「第二の第1話」。
そしてまったく別の作品になってしまったように見えて、ちゃんと前半と3部がつながっている。それが回を追うごとにだんだん明らかになっていく、この仕掛けがいいですよね〜。
5話と3部全体が、7話のカミナの台詞と21話のヨーコの姿がつながり、1話の地上の光景が21話で繰り返され、15話の「あきらめるな」が21話のラストで、8話の「歯ぁ食いしばれ」が23話で、それまでの鬱屈を吹き飛ばす一言になって再登場する。
音楽もすばらしい。同じ曲が少しずつアレンジを変えて繰り返し出て来る。
カミナのテーマだったラップがアレンジされて、キタンがロシウに殴りかかってもかわされてしまうシーンに使われるところは、本当に切なかった(『ラップは漢の魂……だった…よな…』)。
さらに同じラップが、それを押さえつけるアリア(!)との組み合わせという形で、25話や26話、最終回冒頭に使われていく(『"Libera me" from hell』)。
地上に飛び出す時の明るく威勢の良い曲(『お前のXXXで天を衝け!!』)が、シモンのテーマの最後にひっそりと出てきたり、ピアノ・ヴァージョンになって最終章に淡々と流れていたりします。
この「少しずつ変えて繰り返す」というたったこれだけのことが、どうしてこんな感動を呼ぶのでしょう。
まさしくこの物語はラヴェルのボレロだと思う。同じ旋律を楽器を変えアレンジを変えて繰り返していくだけなのに、クラシックに疎い人や子どもまで強引に感動させて叩き切るように終わるボレロと、とてもよく似ている。
その「繰り返しながら少しずつ進んでいく」構造こそがドリル=螺旋、というところがまた、あまりにもよく出来すぎている。
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